【取材】運命の子、柴犬「凛」。脳性麻痺の息子が初めて動物に心を開いた、運命の瞬間
新型コロナウイルスの緊急事態宣言により、東京都がもっとも静まり返っていた2020年4月頃。編集部のもとに、ある一通のメールが届いた。
『愛犬「凛(りん)」は、この5月で11歳になる柴犬の女の子です。我が家は成人してまもない息子と主人との3人家族。ひとり息子は先天性の脳性麻痺で、車椅子生活です。昨年私立大学を卒業し、現在は一般企業に就職しています。歩けない息子は小さな頃から動物があまり得意ではなく、特に吠えられた経験から犬が苦手でした。そんな息子が、とある日曜日にたまたま訪れたショッピングモール内のペットショップで、凛と出会いました。そのとき息子が初めて自分から動物に手を伸ばし、『お母さん、この子を飼ってよ。僕はこの子なら、触れる!』と言ったのです。この出会いは奇跡のように感じ、その場で凛を迎えることになりました』
この愛にあふれたメッセージに惹かれ、ぜひお会いしたいと思った我々編集部。緊急事態宣言が解除され、世間的にも落ち着きを見せはじめた同年8月に、髙橋さんご家族の取材をおこなった。
※この記事は「柴犬ライフvol.4 秋号2020」からの転載です。一部加筆・修正をし、公開しています。
目次
『お母さん、僕この子なら触れる!』
髙橋さんご家族は、旦那さんの進さん、奥さんの敦子さん、長男の史(ふひと)くん、柴犬凛の3人+1頭。
史くんは生まれつき脳に障害をもつ脳性麻痺を患っており、小さい頃から車椅子生活。
歩くことができない史くんは、小さな頃から動物が苦手で、特に吠えられた経験から「犬」はひときわ苦手だった。
まだ凛に出会う前のある日。3人で近所のショッピングモールへ行ったとき、併設していたペットショップに“なんとなく”入店した髙橋家。
犬を迎える予定もなかった髙橋家だが、偶然そのときに柴犬の子犬と触れ合えるイベントをしていて、参加してみることに。
ところが、元気いっぱいで興奮状態の子犬を見て、やっぱり史くんは近寄ることができなかった。
小さい頃から動物と暮らし、犬も猫も大好きな奥さん。
そして、犬の中では柴犬がダントツで好きだった旦那さんも「帰ろっか」と声をそろえたのだった。
そして、3人がペットショップを去ろうとしたそのとき、店員さんから「おとなしい子がいますよ」と呼び止められという。
念のため“その子”を見せてもらうことにした髙橋家だが、それが『運命の出会い』につながるのだった。
そのときの様子について、奥さんはこのように語る。
「ペットショップの店員さんが、お店の奥から柴犬の子犬を連れてきたんです。その子は見た目からしておとなしく、まずは主人が抱いてみることにしました。
すると、その子はピタッと主人にくっついて離れようとしないんです。その姿に主人が一瞬でメロメロになってしまって(笑)。
さらに驚いたのは、あれだけ動物を怖がっていた息子が、自らその子を触りにいったことです。息子が生まれてから、初めての経験でした。
そして目を輝かせ、私に向かって『お母さん、この子を飼ってよ。僕はこの子なら触れる!』と言ってきたんです。
私にはこれが、偶然ではなく必然の出会いのように感じました。
その日は飼う予定がなくお金もなかったので、予約という形にして、後日改めて迎えにいくことにしたんです」
そして2009年8月8日に髙橋家の家族になった小さな小さな柴犬。
その子は「凛」と名付けられた。
大暴れのパピー凛。一ヶ月間「学び」の期間へ
家族全員が「この子はおとなしい」と思い込んでいた柴犬の凛。ところがその原因は、ケンネルコフを患っており当時は元気がなかっただけだったそう。
迎えてからこの事実を知った髙橋家。病気を克服してすっかり元気になった凛は、一日中走りまわり、てんやわんやな毎日だった。
史くんは凛が暴れる様子が怖く、再び犬に対して恐怖心を抱いてしまったという。
そして髙橋家は、信頼できる“犬友”のアドバイスから、凛を一ヶ月間ドッグトレーナーのもとに預けることにした。
「当時犬と暮らしている友人に、凛と息子のことを相談しました。すると、凛をしつけ教室に預けるように勧められたんです。
この期間は凛だけでなく飼い主である私たち自身の学びの時間でもあるから、通わせるのではなく一ヶ月くらい預けてみたら? って。
北浦和に有名なドッグトレーナーさんがいて、凛のことと障害をもつ息子のことを電話でお話ししました。
すると『息子さんも一緒に連れてきてください』と言われ、家族全員で行ってみたんです。
そのトレーナーさんは私たちのことを理解してくださって、『凛ちゃんは、人に不信感を抱かないような子にトレーニングしましょう』と言ってくださいました」
凛をトレーナーのもとに預けたのは、髙橋家にやってきて数日後のことだった。
家族全員が「凛は私たちのことを家族だと認識していないかもしれない……」そんな不安と罪悪感を抱いていたという。
ところが、預けて20日後に面会へ行くと、凛は家族に会えたことが嬉しくウレションまでして喜んだ。
この瞬間、今まで以上に情が湧き、改めて家族に迎えてよかったと思ったそうだ。
人情味あふれる東京下町。凛はみんなの人気者
トレーニングを終えて再び家族のもとへ戻った凛は、何度か脱走する事件を起こしたものの、良い子にすくすく育っていった。
もちろん史くんも、すっかり心を許して姉弟のような存在に。
髙橋家が暮らす東京都足立区は、生粋の下町。人情あふれるこの街は、みんなが家族のようで、毎日笑い声が飛び交っている。
「おかげさまで凛は、どんな人や犬とも仲良くできる子に育ちました。近所の子どもたちもみんな凛のことが大好きで、仲良く遊んでくれます。
凛のこともよく知ってくれていて、凛と初めて会う子には『この子は触っても大丈夫だよ!』と教えてくれたりして。
主人が町内会の一員なので、大人の皆さんも凛を可愛がってくださるんですよ。
いつもおやつをくれる社長さんがいるんですけど、凛はその人のお家の前を通ると必ず止まるようになりました!
最近なんて玄関のドアを前足でノックしつづけて、社長さんが出てくるまで待ってるそうなんです(笑)」
近所の人気者になった凛。人々が和気藹々と暮らすこの街で、ひときわ凛を溺愛する旦那さんは、“恥ずかしいシーン”を見られてしまい話題になったという。
そんな下町ならではのエピソードを、奥さんがこっそり教えてくれた。
「今年のゴールデンウイークに、凛が急に腰を悪くしてしまったことがあって。今はすっかり治っていますけど、当時は歩けないくらい痛そうで、本当に心配しました。
凛は外じゃないと排泄をしないので、毎日抱っこをして近くの土手まで連れて行くんですね。
ある日主人が凛を抱えたまま土手に向かっていたら、その姿を町内会の婦人部のみなさんに見られてしまったみたいで。
そこから噂が広まって、先ほどお話しした社長さんから電話がかかってきました。
『おい、凛はどうしたんだ!? 抱っこされてたぞ』って。
主人は恥ずかしそうに『いつ見られてたんだ~!?』って騒いでいましたよ(笑)。
それくらい、凛は皆さんに気になっていただいているということですよね(笑)」
車椅子の息子と凛の旅行は、深い思い出になる
時に豪快に笑い、終始笑顔で語ってくださる奥さん。
常に明るい髙橋家の趣味は、家族旅行をすること。もちろん凛をお留守番させる選択肢などなく、4人一緒が大前提だ。
車椅子の息子さんと、中型犬の凛を連れての旅行は、私たちの想像をはるかに超えるほどハードルが高い。
「うちはね、旅行をする前は家族会議が開かれるんですよ。
なぜかっていうと、バリアフリーの宿は犬連れNGなことが多くて、反対に犬連れOKだとバリアフリーじゃないところが多いんです。
凛は大切な家族ですから、ひとりだけペットホテルに預ける選択肢は、もともとありません。
まず主人がゼッタイにダメだって言いますから(笑)。
インターネットで、バリアフリーで犬も連れて行ける宿を調べて、そこからさらに電話をかけるんです。事情を話して受け入れてくださった宿に泊まるようにしていますね。
一度、みんなでリフトに乗れる場所に行こうと思ったことがあるんですけど、体重10kg以上のワンコは乗れないみたいで。
『じゃあダメだね』ってことで、そこには行かないことにしました。主人は高いところが苦手なので、ちょうどよかったみたいですけど(笑)」
さらに奥さんはつづける。
「車椅子の息子と凛と一緒に行く旅行は、行ける場所が限られてくるんですよね。だからこそ、旅行先を決める過程も含めて、深く思い出に残ります。
そういえば、今年になって車を買い替えたんですけど、条件は車椅子と凛のバギーの両方が入ることだったんです!
実際車を選ぶときに車椅子とバギーを持っていって、ちゃんと入るかをしっかり試しました。
我が家の場合は車が足になりますし、全員で出かけることが前提ですからね。おかげさまでかなり大きな車になりましたよ(笑)」
災害で避難。『やっぱり守りたいじゃないですか、母親ですから』
車椅子の息子さんと凛を連れての移動は、旅行だけでなくその他にも私たちとは違った経験が伴う。昨年東京都で発生した大雨による被害のときもそうだった。
髙橋家が暮らす足立区では、大雨当日の朝から避難勧告が出され、少しでも早い判断が必要となった。
「足立区では、お年寄りと障害をもつご家庭は、一足先に避難勧告が出るんです。
けれど避難場所は凛と離れて過ごさなければならないし、車椅子だと過ごしにくい環境なんですね。
私は日頃から“もしも”に備えていろいろな選択肢を考えていて、災害のときはショッピングモールの駐車場や首都高のパーキングエリアに車で避難しようと考えていました。
ところが全部閉鎖されていることを当日に知って……。
小金井市に住む親戚に電話をしたら、こっちは避難勧告が出ていないから、今すぐおいでと言ってもらえたんです。
まだ荒川が氾濫危険水位に達する前で橋も渡れる状況だったので、とりあえず必要なものを詰め込んで、大雨のなか家族みんなで避難することにしました。
私と主人はどこで寝たっていいけど、辛い思いをするのは息子と凛なんですよね。
ふたりは私たちの大切な子どもであり家族です。やっぱり守りたいじゃないですが、母親ですから」
奥さんは、優しく微笑みながら史くんと凛を交互に見つめたのだった。
史くんと凛は、特別なカンケイ
最後に、凛ちゃんが来てからの変化について、史くんにお話しをうかがった。
「僕は仕事場まで、車椅子と電車を使ってひとりで行っています。遅いときは帰りが21時近くになることもあるんですけど、インターフォンの近くまでくると、凛が車椅子の音でわかるみたいで。
凛の吠えている声が聞こえて、『今日も凛が鳴いているなぁ、待ってくれてるなぁ』って嬉しくなります。
凛は、帰ってきたときの一筋の癒しです。安心できるものがひとつ増えたことは、僕にとって大きな変化ですね。
疲れて帰ってきたときに凛の笑顔を見て、明日からの活力にしようと思えます」
凛は、史くんが家を出るときは角を曲がって見えなくなるまで見送り、帰宅したときは家の中に入るまで見守っているという。
これは、お父さんにもお母さんにもやらない特別な行動。
このふたりは、家族以上の熱い絆で結ばれており、言葉では表現できない特別なカンケイなのだと思えてならなかった。
Instagram:@xia.finney
Blog:『ふま日記~脳性麻痺の息子と歩んだ涙と笑いの毎日~』
photo:Hiroaki Otake
text:Chika Yugawa
※この記事は「柴犬ライフvol.4 秋号2020」からの転載です。一部加筆・修正をし、公開しています。
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