2022年11月7日14,957 ビュー View

【取材】腎不全と闘う19歳のスーパーレジェンド。寝たきりを救ったパパ自作のDIYは必見です! #33リン

平均寿命は12〜15歳と言われる柴犬。そこで我が『柴犬ライフ』では、12歳を超えてもなお元気な柴犬を、憧れと敬意を込めて“レジェンド柴”と呼んでいます。 この特集では、レジェンド柴たちのライフスタイルや食生活などにフォーカスし、その元気の秘訣や、老犬と暮らすうえで大切だと思うことを、オーナーさんに語っていただきます。今回は、19歳というスーパーレジェンドのリンちゃんが登場! 介護のためにご主人が手作りしたという、DIYの域を超えた凄すぎる工夫は必見です!

 

リンちゃんプロフィール

柴犬

年齢&性別

19歳の女の子

体重

8.2kg(若い時は12kg)

大好きなこと

外に出ること、おやつ

既往歴

・1歳頃に皮膚病になりステロイド治療。食べ物も無添加に切り替え、1年程で完治。

・11歳で奥歯周辺が歯肉炎に。再発すると、より高齢で麻酔・手術することになるため、この段階で抜歯。

・12歳で腰のヘルニアを発症。腰に力が入らず、お尻が“くたっ”と落ちるようになったため病院へ。電気治療と痛み止め薬で、2カ月程で完治。

・17歳で腎不全に。それまでなかったお家でのお漏らしと、水を飲む量が増えたことで気付く。通院による週1回の点滴を現在まで続け、状態は安定している。

 

出会ってすぐの約束

柴犬

 

「一生一緒にいるから大丈夫だよ」。一緒に暮らし始めてすぐ、なぜかそんな言葉が口をついて出てきたという、オーナーの田中さん。

 

元々ご主人と暮らしていたリンちゃんが10歳のとき、田中さんがご主人と一緒になり、リンちゃんとも家族になりました。

 

自分が言った言葉が約束のように心に残り続け、介護が必要になった今も、ずっとそばでリンちゃんを支えています。

 

「リンは、小さい頃にしっかりしつけられたこともあり、主人の言うことをちゃんと聞くお利口さんでした。

 

警戒心が強く、知らない人には少し唸ったりもするのですが、私にはそんなことがなく、最初からすんなり受け入れてくれました。“家族になる人なんだ”と理解していたのかもしれません。

 

しかも、主人に怒られると私の影に隠れたりしてたので、自分の味方だと思ってくれたんでしょうね」(田中さん=以下「」内同)。

 

田中さんと出会ってすぐに、“この人は味方だ!”と感じたリンちゃん。その直感は大正解で、今では田中さんなしの暮らしは考えられません。

 

時に自分の体調を崩しても、決してリンちゃんの介護は投げ出さなかった田中さんに、介護生活の工夫や、大変さも伺いました。

 

介護の始まりは夜鳴きから

柴犬

 

リンちゃんの介護が始まったのは、腎臓病を患った17歳頃からでした。最初の異変は夜中の遠吠えです。

 

「当時、リンと猫は1階で、私と主人は2階で寝ていたのですが、ある日の夜中、遠吠えのような声が聞こえてきたんです。

 

何だろうと思って1階に下りていくと、リンは何事もなかったかのようにキョトンとしていて。

 

訳が分からないまま、その日は戻って寝たのですが、次の日もまた次の日も、1週間くらい遠吠えは続きました。

 

病院で相談したら、一緒に寝ると収まることもあると言われ、そうしてみることにしました。

 

すると本当に鳴かなくなり、それ以来、私が1階のソファで一緒に寝るようになりました。1年半くらい続いたと思います。

 

そして19歳になった頃、また夜鳴きが始まったのですが、ここからが介護で一番大変な時期でした」。

 

柴犬

 

後ろ脚が弱り、お尻が落ちて座り込むようになってしまったリンちゃん。自力では起き上がれず、「起こして」と訴えるようになりました。

 

その要求吠えが、夜中に目を覚ましたときにも出るようになったのです。これが“夜鳴き”の原因でした。

 

17歳の時の夜鳴きは寂しさからだったようで、一緒に寝ることで収まりました。ですが、今回は要求吠えなので、身体を起こしてあげるまで収まりません。

 

多いときは数分に1回という夜鳴き対応が必要になり、田中さんの方が体調を崩してしまいました。

 

安定剤、そしてDIY

柴犬

 

そんな田中さんを救ったのが、病院で処方してもらった安定剤と、ご主人のDIYでした。

 

「私がノイローゼのようになってしまい、病院で相談したら、リンがよく眠れるようになる安定剤を出していただきました。

 

薬で眠ってしまうのが何だか怖くて、何カ月かは使えなかったのですが、あるときどうしても家を空けないといけなくなって。

 

起き上がれずに吠えるときは、顔の片側を床につけて吠えるので、顔がよだれ塗れになってしまうんです。それが何時間も続くと思うと可哀想で、使ってみることにしました。

 

するとほんの少しの量で12時間くらいぐっすり眠ったんです。薬が効いたのもあったと思いますが、リンもそれまでずっと眠れてなかったんですよね。

 

そのことに気づいてからは、私の体調のこともありますし、安定剤を飲ませるようになりました。運動・安定剤・寝る、というのがルーティンです」。

 

柴犬

 

このルーティンでリンちゃんも田中さんもぐっすり…なら良かったのですが、そうすんなりとはいきませんでした。

 

最初は寝るときに抱っこして背中をトントンしてあげれば、あとは自分で眠ってくれていました。

 

ですが、しばらくするとまた夜鳴きが出始めて、朝まで抱っこし続けたり、時には何をしても鳴き止まなかったり。

 

体力的にも精神的にも限界に近づいていた頃、ご主人のスゴイDIYが、田中さんを救います!

 

これなしでは介護できません

 

柴犬

 

田中さん曰く「私の介護人生を変えた!」というご主人のDIY。それは、リンちゃんが独りで歩けるようにするための自宅改造でした。

 

まず両側の壁の高い所に金具を打ち込み、そこにワイヤーを通して滑車を付けます。その滑車とハーネスを、カラビナと何本ものストラップで繋ぎます。

 

そしてハーネスをリンちゃんに着けると、リンちゃんは身体をハーネスで支えられたまま、ワイヤーに沿って自分で歩くことができるのです。

 

それまでは、「起こして!」→ 壁にもたれて数分歩く → 座り込む →「起こして!」のループだったリンちゃん。

 

田中さんは数分おきに対応しなければならないため、例えば料理中なら、一旦火を消してリンちゃんを起こし、また戻って火を着けて…と大変だったそう。

 

ですがこの改造のおかげで、リンちゃんが疲れてないか、眠そうじゃないかを気にしながらも、基本的には自由に家事ができるようになりました。これは本当に大きな改善です。

 

ほかにもご主人は、簡易車椅子のような歩行器を自作したり、ソファで寝る田中さんのために、腰を痛めないマットを見つけてくれたりもしたそうです。

 

因みに、歩行器についてはこんなことも仰っていました。

 

「当たり前なんですけど、リンは歩行器が初めてで。歩くためのものという認識ではなく、遊ぶものか乗り物にでも乗せられたような感覚みたいでした。

 

最初は脚を動かしたりするんですが、やがて飽きたように、“もう遊び終わったよ”という感じで止めてしまうんです」。

 

もし機会があれば、愛犬が元気なうちに歩行器や車椅子で歩く体験をさせておくと、いざというときに思い出してくれるかもしれませんね。

 

よく食べる工夫を

柴犬

 

自分で歩けるようになったことでリンちゃんのストレスも減り、夜鳴きも含めた“要求吠え”は半減しました。ほかには困った症状などなかったのでしょうか。

 

「よくあるのは“ハマっちゃう”ことです。キッチンを区切っていた柵の格子に顔が挟まったりとか。

 

最初は、変なことして可愛い、ドジっ子! くらいに思ってたんですけど、後から思えば認知症の始まりだったんですよね。

 

それから認知症が進むに連れ、ワガママ全開(笑)になりました。結構厳しくしつけられていたので、それが開放されちゃったのかもしれません。

 

ごはんも、ずっと同じドライフードをお利口に食べていたのですが、今は飽きて食べないときもあるので、その度に色々変えています。

 

それからおやつも、以前は無添加のものや野菜、芋などでしたが、今では食べたがるものをあげるように。

 

でもこれはリンのワガママというより、今は刺激や楽しみがある方が、厳密に身体に良いものしかあげないよりもいいと、私たちが思ったからです」。

 

柴犬

 

シニアになると、“飽き”に加え、自分でフードを口に入れたり噛んだりするのが難しくなることもあり、食が細ってしまう心配も。

 

リンちゃんも、元々 “受け口”で、歳とともに口をあまり大きく開けなくなってきたため、手からフードを食べさせています。

 

手に伝わる感触を頼りに、あまり口が開いてないから押し込んであげよう、そろそろ飽きてきたからおやつを挟もう、などと工夫できて、しっかりごはんを食べてくれるそうです。

 

助けた猫が繋いでくれた縁

柴犬と猫

 

大きな波を乗り越えましたが、まだまだ続く介護生活。先の見えない不安もあるものの、田中さんは「今が一番いい」と仰います。

 

「一時期は本当に追い詰められてました。私がそんな状態だと、リンも余計に落ち着かなくなって…、みたいな感じの悪循環で。

 

オムツが漏れてウンチだらけになったり、それで一日に何度もお尻を洗ったりして、“もう無理!”って泣いちゃったこともあります」。

 

そんな苦しい介護生活に、周囲の人たちが光を差してくれました。

 

「良いお医者さんや看護師さんに恵まれたことがとても大きかったですね。今のリンがあるのはこの方たちのおかげです。

 

リンのことを考えてくれるのはもちろん、いつも私の体調まで心配して、親身になって相談に乗ってくれました。

 

瀕死の猫を保護したことがきっかけで、前の病院から今の病院に変わったのですが、この病院に出合えて本当に良かったです」。

 

柴犬と猫

 

路上で弱った猫を保護し、当時のかかりつけ医に連れて行ったところ、すぐさま「お金はありますか?」「どうせ余命はないですよ」と心無いことを言われた田中さん。

 

これはダメだと思い、ご実家のかかりつけ医だった今の病院に連れて行ったそう。ここでは真逆の対応で、何とか命を救おうと最善を尽くしてくれました。

 

その子は数日後に亡くなってしまいましたが、最期に手厚い看護と愛情を受け、そして田中さんと病院のご縁を繋いで、今は田中家の仏壇で眠っています。

 

介護仲間とご主人と

柴犬と家族

 

そしてもう一つ大きな支えになったのが、インスタで繋がった介護仲間でした。

 

「リンの介護記録としてインスタを始めたのですが、同じように介護を頑張っている方から、たくさんコメントをいただいたんです。

 

色々教えてくれたり、共感してくれたり。私だけじゃないんだ、と思えて心強かったし、気持ちが軽くなった気がします。

 

介護が楽になってきたのは慣れて要領を得たせいもありますが、笑って介護生活ができるようになったのは、インスタの介護仲間がいてくれたからだと思います」。

 

それから、もちろん欠かせない大きな存在がご主人です。

 

柴犬と家族

 

「DIYで色々作ってくれたり、他のことも協力的で助かっていますが、何より仲が良いことが大事だと思います。この人とだから介護生活ができているというか」。

 

リンちゃんとの付き合いは田中さんよりも長いご主人。リンちゃんを想う気持ちは当然ですが、介護する田中さんへの気遣いも忘れません。

 

ご夫妻とリンちゃん、そしてもう一頭の家族、三毛猫のあんずちゃん。4人の間に流れる温かな空気も、大変な介護生活を明るくしています。

 

因みに、田中さんの介護の極意は “楽してナンボ”。苦しみの中で、ご自身の健康がリンちゃんにとっていかに大事かを悟り、この極意に行き着いたそうです。

 

一生一緒に

柴犬と猫

介護生活のヒントをたくさん教えてくださった田中さん。最後に長生きの秘訣も聞いてみました。

 

「介護のお話でも言いましたが、やっぱりリンに合う病院に出合えたことは大きかったですね。

 

前の病院では行く度に震えていましたが、今の病院は全然平気なんです。皆さんに可愛がってもらえて。おやつの味を覚えたのもこの病院でした(笑)。

 

病院については、少しでもおかしいと思ったらすぐに連れて行ったのも良かったと思います。腎不全も、手遅れになる前に治療を始められたので。

 

あと、シニアになって刺激を意識するようになりました。歩けなくなった今も、外の空気や匂いを吸わせたくて、毎日1時間くらいバギーでお散歩しています。

 

外に出ると目が輝き、耳もピーンと立つので、知りたい、感じたいという意欲が出てくるようです。一時期、外に出られなかった時は目が曇っていましたから。

 

あと、ウチには先代猫からずっと猫がいるので、その刺激も良かったかもしれません」。

 

しっかりしたしつけに、余計なものは与えない食生活。そしてご夫妻の愛情をたっぷり受けて、リンちゃんはハイシニアまで不自由なく暮らしてきました。

 

ですが、そこからさらなる高み、19歳というスーパーレジェンドまで到達できたのは、やはり田中さんの献身的な介護があればこそ。

 

「一生一緒にいるからね」。出会った頃に囁いた約束の言葉を守り、田中さんは今日も楽しみながら介護を続けています。

 

柴犬

 

取材・文/橋本文平(メイドイン編集舎)

 

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